安全安心なキャッシュレス社会 実現のために

2018 年は、過去にないほど“ キャッシュレス” というキーワードが話題となった一年だった。そこで、国内のキャッシュレス化の現状と課題、安全安心なキャッシュレス社会の実現に向けての方向性について、決済サービスコンサルティング 代表取締役 宮居雅宣氏に解説してもらった。

決済サービスコンサルティング株式会社 代表取締役 宮居雅宣

1. 日本のキャッシュレスは遅れているのか

キャッシュレスビジョンによると日本のキャッシュレス比率は約18.4%で、他国より遅れているという。経済産業省は家計の最終消費支出に占めるクレジットカード、デビットカード、IC型電子マネーの合計額をキャッシュレス決済比率と定義して他国と比較し、10年後には倍の40%を目指すとのKPIを掲げている。

しかし資金決済業協会が公表している前払式支払手段の年間利用額は約24兆円であり、これを加味すれば前述の18.4%は27.2%となる。また、キャッシュレス決済比率が54.9%という英国のキャッシュレス決済比率には”Direct Debit”なる支払方法が含まれているが、これは日本でいえば「口座振替」であり、口座保有率96%の英国に対して98%の日本のキャッシュレス比率に口座振替を含めるとキャッシュレス決済比率はかなり向上するものと思われる。実際に金融庁が2018年11月の金融審議会の金融制度スタディグループで提示した参考資料には、3メガバンクに係数を出してもらった結果として、現金による支払いは45.6%程度との数値が出ている。これらの数値を根拠として、決して日本のキャッシュレス決済率は低くないという意見も散見されるが、では実際に街に出るとどこの店でもクレジットカードや電子マネーが使えるかというと、そうでもない。都市部にせよ地方にせよ、大手チェーン店ではクレジットカードや電子マネーが使える一方で、都市部でも中小規模小売店ではやはりまだキャッシュレス決済が利用できない店舗は多い。

現金は日本銀行が日本銀行券を刷って金融機関の本店に渡り、そこから全国津々浦々の支店に分配され、さらに小売店のレジに移され、一日が終わると勘定を合わせて夜間金庫に入れられる。高額の現金が移動する度に警備会社などが安全に現金を運ぶほか、各者が各工程で帳簿と現金の突合管理を行い、管理簿に入力して管理している。消費者も、給与口座から現金を引き出して買い物し、お釣りを財布に入れてレシートの情報を入力して管理する。これらはすべてデジタル化可能な情報であり、金融機関にあるデジタル化した価値データをわざわざ現金に置き換えることなく、そのままデジタルで処理すれば現金を運ぶコストや帳簿に記録し現物突合する手間やコストなどの社会コストは大幅に削減でき、小売店従業員の業務負荷も軽減することができる。そう考えると、まだまだ現金でしか支払うことのできない店や売場が多い日本は、多少計数の大小はあれどやはりキャッシュレス化が遅れている国であると言わざるを得ない。

2. 端末代と加盟店手数料の高さがキャッシュレス化遅延の原因なのか

首相官邸が主催する未来投資会議の第1回「FinTech/キャッシュレス化会合」に経済産業省が提出した資料には「加盟店キャッシュレス導入の阻害要因」として加盟店手数料の高さと端末導入費用の高さの2点がクローズアップされている。しかし、この根拠となった経済産業省の「キャッシュレスビジョン2018」にある観光地の140店舗がクレジットカードを導入しない理由のアンケート結果は、1位こそ「手数料が高い(42.1%)」が挙げられているものの、2位は「導入メリットを感じない(35.7%)」、3位は「現場スタッフの対応が困難(32.1%)」、4位は「クレジットカード決済を希望する声が少ない(29.3%)」で、「導入費用が高い(25.7%)」は5位である。複数回答のパーセンテージを見ても2位と5位の間には10%の差があり、2大阻害要因として端末代を挙げるのは少し無理があるように見える。ただ、キャッシュレス未導入の小売店にアンケートを取ると、端末代と手数料が問題となる傾向はさまざまなアンケート調査で見られるので、違和感を感じる人は少ないようだ。しかし、キャッシュレスを導入していない店に「なぜ導入しないのか?」と質問し、回答欄の選択肢に「端末代が高いから」「手数料が高いから」との理由が並んでいれば、そこに丸をつけるのは当然の行動といえる。実は2018年11月に実施したあるアンケートでは、同じように全国の小規模小売店約750店にキャッシュレスを導入しない理由を聞いた後に、どれほど真剣にキャッシュレスを検討したことがあるかとの設問を入れたところ、実に「端末代が高いから」「手数料が高いから」と答えた回答者の6割以上が「あまり検討したことがない」と答えた。中には「では何%なら導入するか」との設問に対して「5%」とか「10%」と答えた店もある。キャッシュレスについて全く考えていない店が「なぜか?」と聞かれて「高いから」とそれらしい回答を選んでいると考えられる。だとするとその2点をやり玉に挙げて叩いても、真因でないならキャッシュレスは進まない。実際に、端末を無償配布しても、手数料をゼロにしても、加盟店が増えなかった事例もある。

2012年5月、ソフトバンクは米国の決済サービス「PayPal(ペイパル)」と国内で合弁会社「PayPal Japan」を設立し、小売店向けのスマホ決済端末「PayPal Here」を展開した。記者発表会で登壇したソフトバンクの孫正義代表取締役社長は「日本はカード決済後進国。導入コストが高く、代金回収期間が長く、決済手数料も高い。PayPal Hereを徹底的に配りまくって一気に店舗数を100万店、200万店に増やす。」と語り、本当に実質無償で端末を配布した。しかし加盟店獲得は伸びず、2016年3月にPayPal Hereは日本から撤退する。IC対応が問題になったと見る向きもあるが、米国PayPal Hereは接触ICにも非接触ICにも対応しており、IC対応が問題では無さそうだ。少なくとも端末を無償配布したのに加盟店が増えなかった事例といえる。

PayPal Hereは加盟店手数料が3.24%だったが、ゼロ%でも加盟店獲得が伸びなかった事例もある。

2018年の夏に「決済革命」と発表して加盟店手数料ゼロ%が話題となったLINE Payは、実は2014年12月にサービスをスタートした時から「月間取扱高100万円以下の加盟店の手数料はゼロ%」である。しかし2014年12月から2018年夏までの約3年半の間にLINE Pay加盟店が増えた印象は残念ながら無い。それどころか2014年12月に「加盟店手数料ゼロだ!」と大騒ぎになった事実がすっかり忘れ去られている。加盟店手数料をゼロ%にすれば加盟店が増える訳ではない事例といえる。

PayPal Here 記者発表資料
出所)「ソフトバンクとPaypal の 戦略的提携について」より(ソフトバンク)

なおLINE Payは決済革命を発表した2018年8月からは「LINE Pay店舗用アプリ」「LINE Pay据置端末」「プリントQR」導入店舗を対象に「3年間手数料ゼロ%」に条件変更し、非接触IC決済で提携したQUICPayの利用箇所数(端末台数)も数えて現在は100万箇所に到達している。TVコマーシャルも積極的に展開し、WeChat Payと提携したり、還元額5,000円を上限に利用額の20%を還元したりなどの施策を打ち出し、日本のキャッシュレス化の一翼を担う勢いを見せている。

2014 年12 月のLINE Pay 料金表
出所)当時のLINE ニュース

2018 年8 月以降のLINE Pay 料金表
出所)当時のLINE Pay サービス紹介サイト

3. キャッシュレス化が遅れている真因はどこにあるのか

決済端末を無償で配布しても、加盟店手数料をゼロ%にしても、加盟店が増えないとしたら、小売店がキャッシュレスを導入しない理由はどこにあるのだろうか。

クレジットカードについて言えば、カード会社側が費用対効果の低い小規模小売店に対して積極的に加盟店化を推進していない点が挙げられる。加盟店契約を締結するには店に足を運ぶ営業コストや申込書類を郵送する郵税も発生する。仮に加盟店手数料5%で加盟店契約したとしても、例えば加盟店を1店舗獲得する営業コストが5,000円だとした場合、少なくとも10万円の売上が上がらなければ営業コストは回収できない。まして近くにカード会社の支店が無い地方の小売店では出張旅費も発生する。過払金返還請求でカード会社の体力が著しく消耗する以前であれば、地域強化キャンペーンなどで小さな加盟店や地方の加盟店を獲得しようと精力的に加盟店営業を行う姿が散見されたが、業界全体が過払金返還請求対応で疲弊した以降は加盟店営業にも効率化が求められ、加盟店獲得にしても大して収益に貢献しそうにない小規模小売店については営業コストをかけてまで獲得する必要はないとの判断が働いているようだ。小売店側としても、クレジットカードを導入したところでいつも同じ客が同じ商品を購入するだけの売上しかないような店では加盟店手数料分の収入が減り、現金であれば即時に回収できる入金が2週間先になり、しかも端末操作や現金と異なる売上計上処理などの手間が増える。カード会社側は推進したくない、小売店側は対応が面倒臭いとなれば、当然キャッシュレス化は進まない。

しかし少額決済領域でもキャッシュレス化した事例が無い訳ではない。タッチ1秒で決済できる非接触IC型電子マネーは、レジスピードの向上が貢献し、コンビニエンスストアやランチタイムの飲食店などクレジットカードが使えなかった少額決済領域の小売店のキャッシュレス化を大いに進めた。

そして今般、端末不要で顧客のスマホ操作のみでも決済できるQRコード決済が存在感を高めている。2018年12月に「100億円あげちゃうキャンペーン」で話題となったPayPayは、加盟店手数料ゼロ%を武器に商店街とも提携。利用者へ利用額の20%を還元するキャンペーンで一世を風靡した。タコ焼き屋の女性はテレビのニュース番組で「店先に貼ったQRコードをお客さんが勝手に読み取って支払ってくれるから、現金の準備もお釣りを渡す手間もなくてとても良い。私はずっとタコ焼きを焼いていられる。」と嬉しそうにその利便性を説明した。まさに小規模店がキャッシュレスの利便性を実感した瞬間である。このようにキャッシュレスの恩恵を実際に体験する小売店が増えればキャッシュレス化は進むであろう。PayPayの「加盟店手数料ゼロ%」も導入を促す大切な要因であるし、日本の紙幣が偽造困難で常に清潔なこともキャッシュレスが進まない要因の1つであろう。しかし検討すらしたこともなく「面倒臭い」と感じている小売店の「食わず嫌い」も、実はキャッシュレスが進まない大きな原因と考えられる。

4. 見習うべきキャッシュレスの歴史

1997年11月、北海道拓殖銀行が破綻した際、北海道のカード会社HCBも破綻した。HCBカードの加盟店に衝撃が走る。HCBカードで売り上げた商品の代金が入金されるのか心配する声が高まった。この時、HCBのブランド会社「JCB」はすかさず救済を発表。HCBが支払わないまま倒産してしまった加盟店売上代金もブランド会社が補償したのだ。これにより、以降も加盟店は安心してJCBカードを取り扱った。もしこの時、アクワイアラが倒産したら加盟店に売上代金が支払われない事例ができていたら、現在のようにクレジットカード取引は拡大していなかったであろう。加盟店としては入金されない可能性がある決済サービスなど取り扱う訳にはいかない。このように決済スキームの一部で発生した決済不能が次々と広がって決済スキーム全体に波及することを金融システミックリスクという。1960年に日本に上陸したクレジットカードをルーツに持つ国際ブランド決済ではこのような金融システミックリスクが発生しないよう数々の工夫がなされている。しかしこのシステミックリスクや不正使用リスク、未収リスクのように、長年の経験で初めて習得するリスク対応や業務知見はカード会社にとっては非常に重要なノウハウであり、外部に解説されることはない。

長い年月をかけて習得したノウハウを決済事業者が口外しない以上、中央省庁や新規の決済サービス参入者、コンサル会社など、他者がこのノウハウや関連知見を入手することは極めて難しく、表面的な公開情報で得た知見だけで決済サービスを理解したつもりになって決済ビジネスに進出しても、数年経過して初めて遭遇する数々の問題によって金融システミックリスクを発生させてしまう可能性は残念ながら低くない。その時に利用者や加盟店にしわ寄せを与えることなく、安心安全に利用できる態勢をあらかじめ整えておかなければ「〇〇Payの売上代金が入金されない」との事象が発生しかねず、ひいては「キャッシュレス」全体が社会の信頼を失うことになりかねない。一見、どれも同じように見える決済サービスであるが、決済のリスクを負わない「決済サービス接続事業者」と決済のリスクを負う真の「決済事業者」が混在することを理解したうえ、消費者も小売店も中央省庁も面倒臭がらずに加盟店規約や会員規約を熟読し、権利義務関係を正確に把握し、時には責任分界点を交渉して、万が一の時でも安心して決済サービスを提供・利用できる環境を整備する必要がある。

5.安全安心なキャッシュレス社会を目指して

現在、さまざまに登場する〇〇Payにおいて、筆者が最も注目するのは全国金融機関共用スマホデビット「All BankスマホQRコード決済」である。未来投資会議の第1回「FinTech/キャッシュレス化」会合の資料によると、2018年6月に3メガで方向性が合意されたこのサービスは、8月には地方銀行や信用金庫協会など各種業態の代表が参集してWGを行っており、2019年下期のサービス開始を目指しているという。「こっちの店で使えるのは〇〇Pay、あっちの店は□□Pay、利用者が持っているのは△△Pay」というようでは、「結局、現金が一番便利」となってしまう。SGQRのような統一QRコードは改正割販法の加盟店管理強化の方針に照らすと現実的な運用において色々無理が生じそうである。全国金融機関が一丸となって1つの共用決済サービスを全国津々浦々に提供すれば、スマホの操作1つで、全国のどこの利用者の金融機関口座からどこの地域の加盟店口座にでも利用代金を振り替えることができる。さらにこの仕組みを全国金融機関の共用決済プラットフォームとすれば、〇〇Payも□□Payもこのプラットフォームを使って決済サービスを提供した方が効率的なサービス提供ができる。将来的にはC2C送金にも使えそうだ。

全国金融機関共通スマホQRコード決済 WG参加者
出所)首相官邸「未来投資会議の第1回『FinTech /キャッシュレス化』
会合資料を参考に筆者作成

実は北欧のキャッシュレス先進国でも、スウェーデンの「Swish」、デンマークの「Dankort」など国民が国内で多用するキャッシュレスは国内専用のスマホデビットで、外国人観光客はVisaやMastercardなど国際ブランドの非接触IC決済が主である。この先人口が減少する日本は、外国人観光客が使えないことなど気にも留めず13億8,000万人もの国民が利用することでどんどん勢力を伸ばす中国の決済サービスよりも、人口が減少し外国人観光客の消費を重要視する北欧をモデルにキャッシュレスを推進すべきと筆者は考える。(もちろん、AlipayやWeChat Payを扱って中国人観光客の消費を取り込むことは重要である。しかしAlipayなどはすでに生体認証など新たなインターフェイスへ移行しそうであることや、中国政府が決済利用者を特定して政府に報告できる体制を義務化していること、QRコード自体もセキュリティの高度化を図る動向など、QRコード決済に変化が起きることにも注意をしておく必要がある。)

2018年12月に話題になったPayPayは、二重決済や三重決済といった不具合や不正使用でも話題となった。すでにその時に起きた不正使用には対策を施し、第2弾のキャンペーンを開始しているが、もし12月のようなシステム不具合や不正使用を発生させたのが銀行であった場合、世論やマスコミの論調は大きく違ったのではないだろうか。それほどに金融機関には高い安全性と信頼が求められている。FinTechでさまざまなスタートアップが決済サービスを手掛け、日本のキャッシュレスが進むことには大いに賛成であるが、決済サービスは消費者や小売店の財産に直接大きな影響を及ぼすサービスである以上、安全安心が大前提である。奥の深い決済サービスにおいて、不正使用を防ぎ、金融システミックリスクを防ぎ、事業性を確保するには、まだまだ紆余曲折を経ることになりそうだ。安易に手数料を引き下げるだけでは、リスクを負う真っ当な決済事業者ほど事業性を確保できずに退出しかねず、消費者や小売店にしわ寄せが起きかねない。常に安全安心を大前提に、健全なキャッシュレス社会を構築していかねばならない。

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