キャッシュレス・ビジョンが目指す方向性とキャッシュレス・プラットフォームを巡る展望

2019 年は後年「キャッシュレス元年」とされる年になる。キャッシュレス決済への取り組みが社会課題解決の手段として無視し得ないほど大きなうねりとして認識され始めた今、政府がキャッシュレス・ビジョン(経済産業省2018 年4 月公表)を策定した背景や目指す方向性を確認した上で、新たに登場しつつある「キャッシュレス・プラットフォーム」の展望や今後の課題について概観する。

株式会社NTT データ経営研究所 グローバル金融ビジネスユニット アソシエイトパートナー 大河原 久和

多様化する決済に対応する「キャッシュレス・ビジョン」

我が国のキャッシュレス決済は、クレジットカードが年間取扱金額ベースで58兆円超(2017年実績)となっており、これまでキャッシュレス化の実現方法として主役を担ってきた。しかし足元では、従来型のプラスチックカードによらない媒体(スマートフォン等)、インターネットやAPIを活用した既存の決済スキームとは異なる形態が登場し、決済サービスそのものが多様化の様相を見せており、今後もさまざまな形態で事業者の創意工夫に基づくイノベーションにより、新たな決済サービスの登場が予想されている。

また世界に視野を広げると、決済サービス事業者の中にはAlipay(中国)のように、決済手数料やインフラコストを低廉化してサービスそのものの利用を増やし、その結果として集まる決済情報を蓄積・分析することで新たなサービスを創造するビジネスモデルも誕生している。

このような社会環境の変化を踏まえ、キャッシュレス・ビジョン(経済産業省2018年4月公表)は、スマホ決済サービスに代表されるインターネットを活用した新しい決済サービスの登場を好機と捉えつつ、一方で「決済自体はあくまで新たなサービス創造のために決済情報を取り込む手段」と捉える海外の決済サービス事業者の存在感の高まりを脅威と認識し、我が国における決済ビジネスモデル変革の促進、そして来るべきキャッシュレス社会、すなわちデジタルな手段で決済が行われ、そこで生み出されたデータを利活用することで、実店舗・消費者・決済サービス事業者がそれぞれ付加価値を享受できる社会の早期実現を後押しすることを目的として策定されたものである。

キャッシュレス推進の追い風

キャッシュレス・ビジョンは、キャッシュレスの推進によって目指す方向性を提示する一方、足元では我が国が「超キャッシュ社会」とも呼ぶべき現金中心の社会であり、キャッシュレスの推進が容易ではないことを認めている。それでもなお、今まさにキャッシュレス推進に取り組むべき時期にあることについて「現金コストの削減」と「人手不足の解消」の観点を取り上げ、キャッシュレス推進の「追い風(=必要性)」があるとしている。

野村総合研究所の試算によれば、我が国では、現金処理にかかるインフラの運用・維持に年間1.6兆円ものコストがかかっているという。内訳を見ると、銀行(金融機関)サイドで8,600億円水準であるのに対して、支払いを受け入れる実店舗側でも7,400億円相当が費やされている。また、厚生労働省が公表している「労働経済動向調査」(平成28年11月概況)によれば、飲食店・旅館業・小売業等のサービス業態で強い人手不足感が認識されている。キャッシュレス・ビジョンの策定にあたった経済産業省のキャッシュレス検討会においても、小売業の委員から「キャッシュレス化を進める等して現金処理にかかるオペレーションを改善しなければ、店舗運営は維持できない」との指摘があった。

金融機関にとっては、キャッシュレス関連の取り組みとして、現金関連事務やチャネル(営業店、ATM等)の見直しをより一段進めることはもちろんのこと、金融機関とリレーションを有する法人取引先(=実店舗側)への金融サービスの一環として、現金処理負担の削減及び人手不足解消の観点から、キャッシュレスのソリューションを提供する契機となっている。

キャッシュレス新市場の創造と最強決済手段「現金」への挑戦

キャッシュレス・ビジョンでは、「実店舗」でのキャッシュレスを強く意識している。消費者が行う購買のチャネルとしては大きく「実店舗」と「ECサイト」に大別できるが、「平成29年度我が国におけるデータ駆動型社会に係る基盤整備(電子商取引に関する市場調査)」(経済産業省)によれば、ECサイトでの取扱金額は、年間16兆5,054億円とされている。国の民間最終消費支出全体は約300兆円であるから、現時点では国全体の消費に占めるECサイトでの消費の割合は、5%程度に留まる。つまり実店舗における支払いに多くの現金が利用されており、キャッシュレス決済比率40%水準の社会においては、ECサイトでの支払分を控除しても、100兆円を優に超える市場になることが見込まれる。キャッシュレス・ビジョンが注目を集めるのは、実店舗でのキャッシュレス化に焦点を当てた「新市場創造」であり、当該市場にビジネスチャンスが存在するとの想起にあるのだ。

しかしながら、この市場には「現金」という最強決済ツールが君臨している。我が国では長らく、日本銀行が発行する紙幣と硬貨が全国のATM経由で市中に流れる仕組みを磨き上げてきた。これからのキャッシュレス決済の社会浸透に向けては、現金との比較において、実店舗と消費者の双方に対して利便性や信頼性を醸成しながらサービス提供していく必要がある。最強決済ツールである「現金」に対するキャッシュレス決済ツールの挑戦が始まった。

キャッシュレス・プラットフォームの登場

どの決済サービスが利用されるかは消費者に決定権がある。しかしながら、消費者がサービスを選ぶ際には、キャッシュレス決済を使いたい所で使えることが決め手となるため、どのような決済サービスであっても、これを受け入れる実店舗との関係構築を進めることが重要である。

「情報の非対称性」の低下が進み需要サイドである消費者側のパワーが強まる中で、現段階では供給サイドである実店舗側で「どの決済サービスが生き残るか」を予測して採用を意思決定することは難しい。

次々と登場する個別の決済サービスを「一元的かつ継続的に」実店舗と消費者に提供すること、すなわち実店舗と消費者とをキャッシュレス決済を介して繋ぎ、実店舗と消費者に決済+αの付加価値サービスを提供することが、これからの実店舗でのキャッシュレス決済の普及において重要な成功要素になると考えられる。これまで実店舗と消費者が現金で行ってきた領域において、このようなキャッシュレス決済を通じて実店舗と消費者の両サイドにサービス提供するような「キャッシュレス・プラットフォーム」が登場しつつあるのだ。

キャッシュレス・プラットフォームを巡るプレイヤーの動向(図1)

(図1)キャッシュレス・プラットフォームを巡るプレイヤーの状況

<デジタルプラットフォーマー>

楽天ペイ・LINEPay・PayPayの3つの決済サービスは、ネットで開拓した数千万人規模の会員を武器に、「Online merge Offline(=OMO):実店舗を取り込め」のスタイルで、実店舗決済の領域を自社の経済圏に取り込もうとしている。これらのプレイヤーは、決済ビジネスの特徴でもある「プラットフォーム型のビジネスモデル」をその行動原理にしていると考えられる。すなわち、「利用者(使う人)」と「実店舗(使える場所)」の両サイドを獲得することで初めて取引が活性化して、収益を獲得できると確信しており、実店舗の開拓はたとえ大きな投資(コスト)が必要になろうとも新市場を創造するためには避けて通れない活動と位置付けている。

言い換えれば、実店舗の開拓とは、鉄道のレールや高速道路のような基盤を通じてサービス提供するための「インフラ整備」であり、「インフラ投資が先、利益は後」のビジネスモデルを実現するための根幹の活動と捉えている。デジタルプラットフォーマーが、従来の決済ビジネスのコア収益源である「決済手数料」を低廉化したり、実店舗や消費者への利用インセンティブ(割引やポイント付与等)を提供したりすることに迷いがないのは、「今後のキャッシュレス化の加速を見据えていち早く実店舗を取り込むためのインフラ投資」と位置付けているからと理解できる。

<銀行>

銀行は、法人取引先(=実店舗)と消費者(=銀行口座保有者)との強い繫がりを有しており、法人取引先向けには金融サービスの一環として決済サービスを提供し、自行口座保有者向けには自らの法人取引先で決済サービスの利用を促すことが可能である。

例えばメガバンクは、プラットフォーマーとしてのポジションを見据えて標準的なキャッシュレス決済スキームの開発に取り組んでいる(MUFG:MUFGコイン・みずほ:J-Coin・オールバンクのスマホコード決済スキーム等)。それぞれのスキームに相違はあるものの、キャッシュレス決済のインフラを業界全体として社会に提供するというスタンスであり、地方銀行にとっても、地域性を勘案して当該スキームをカスタマイズした形でサービスに取り込めば、主体的に実店舗と消費者とを繋ぐポジションを目指す取り組みを推進し得よう。

また、地方銀行が自前で加盟店開拓と会員獲得を行う独自のキャッシュレス決済サービスを導入する動きも見受けられる。自前でのサービス構築は加盟店開拓の負担やシステム投資等のハードルがあるものの、中長期的には法人取引先(加盟店)と口座利用者(特に若年層)との繫がりが強くなること、決済データを利活用したビジネスモデルが展望できる点にメリットがあり、ひいては実店舗と消費者とのフロントを自らが担うとの強い意思を市場に示す取り組みといえる。

<決済プラットフォーマー>

Origami Pay(Origami社)、銀行Pay(GMOペイメントゲートウェイ社)は、キャッシュレス決済サービスを起点に実店舗と消費者を自らのプラットフォームに取り込みビジネスを広げようとしている。これらのプレイヤーは、実店舗と消費者とのリレーションを有する他社との連携を進めながら、プラットフォームを利用する実店舗と消費者の拡大を進めている。例えばOrigami社は信金中金との提携を行い、全国の信用金庫が主体となって行う実店舗のキャッシュレス化において、Origami Payを提供する形でプラットフォームの拡大を進めている。またGMOペイメントゲートウェイ社は、横浜銀行や福岡銀行等の大手地方銀行、ゆうちょ銀行やりそな銀行に対して「銀行Pay」サービスのシステム提供をすることで、銀行が独自のキャッシュレス決済サービスを導入することを支援している。

<流通・サービス事業者>

大手流通・サービス事業者には、顧客の囲い込みと決済手数料の外部への流出回避を目的として、独自のキャッシュレス決済サービスを導入する動きが見受けられる。また独自のキャッシュレス決済サービスの検討はしないまでも、「キャッシュレス決済ツールを売り場に導入したことで、誘客につながる効果」や、「キャッシュレス決済に対応しなければいずれ売上を取りこぼす」との実感が、都市部のみならず地方部にまで及びつつある。

キャッシュレス・プラットフォームを巡る課題

このように、多くのキャッシュレス決済サービスが立ち上げられ、その結果、市場にはさまざまなプレイヤーが林立するに至っている。2019 年には「キャッシュレス・プラットフォーム」の覇権を巡り、いよいよ各社のサービス競争が本格化すると予想される。

キャッシュレス・プラットフォームは、消費者と実店舗とを繋ぎ、継続的なコミュニケーションから新たなサービスを生み出す「機会の場」であり、キャッシュレス決済は、単に現金を置き換えるだけでなく「生活者の購買動線における利便性向上」と「事業者の生産性向上」のための手段として、さらなる進化が展望されるところである(図2)。

(図2)キャッシュレス・プラットフォーム構築における検討の視点

キャッシュレス・プラットフォームの構築の過程において、健全なキャッシュレス社会を実現するために、「①消費者・実店舗等」、「②決済サービス事業者」、「③特定産業、自治体」、「④競争領域と協調領域のあり方」の観点で、課題を提示しておきたい。

①消費者・実店舗:認知・経験・継続利用

我が国のキャッシュレスは前述の通り、クレジットカードが主役となって推進されてきた。そのため、消費者や実店舗の中には、キャッシュレス=クレジットカードの意識を持つ方も少なくない。消費者及び実店舗に向けて、クレジットに加えてプリペイドやデビットを含めた決済手段、プラスチックカードやスマホアプリ等の決済媒体について、その違いやリスクに関する情報発信等の啓発活動を行うことで、キャッシュレス=クレジットカード意識の払拭を進める必要がある。その上で、キャッシュレスツールの認知、経験、継続利用のステップを意識して、消費者や実店舗目線で分かりやすい形でキャッシュレス決済の存在を社会に浸透させていくことが肝要である。

②決済サービス事業者:セキュリティ

消費者や実店舗が継続的に安心してキャッシュレス決済を利用するためには、セキュリティや決済サービス事業者の事業継続性に関する不安を解消していくことが求められる。なお、2018年7月に設立されたキャッシュレス推進協議会では、関連省庁やFintech協会等の業界団体と連携して、コード決済における不正取引に対する補償ガイドラインの検討等、キャッシュレス決済に関わるセキュリティの不安解消に向けた活動を行っている。

③特定産業、自治体:キャッシュレスを阻害する制度要因

現金支払にしか対応していない場所が存在し続けると、消費者は現金を常に携帯した行動から変化しようとしない。例えば、現金支払が多い場所として医療機関と自治体が挙げられる。医療機関は診療報酬に決済手数料が請求できないこと、自治体には歳出・歳入を現金で行うことを前提とする制度(自治体会計の現金主義)がある。制度とキャッシュレス化とのメリット・デメリット比較やキャッシュレス化がもたらす効果の分析等を通じて、制度改正も含めた議論が期待される。

④競争領域と協調領域のあり方

キャッシュレス化がもたらす社会や経済への影響の大きさを鑑みると、決済サービス事業者間の健全な競争による発展と同時に、標準化やネットワーク等のキャッシュレスを支える仕組みの領域については公共性を勘案した取り組みが必要である。この領域については、関連プレイヤーがいわゆる「協調領域」として対応することで、消費者や実店舗への利便性提供や、安心・安全意識の醸成を効果的かつ効率的に実現可能と考えられる。具体的には、消費者や実店舗を特定するためのKYCやKYBの仕組み、IoT決済等の新時代の決済に対応するためのネットワーク、決済データ利活用のためのフォーマット等は、個別プレイヤーが投資するのではなく、関係プレイヤーが協調的に整備することによって、社会全体のコスト削減のみならず、競争領域におけるサービスの充実にも繋がると考えられる。

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